高等学校卒業と自立に向けたトータルサポート 通信制課程

理事長ブログ

2018年01月13日

学校行事

昨日は、ハーバード大学客員研究員の中川隆太郎さんをお招きし、「ハーバード流 夢の実現方法 ~ストレスとの向き合い方~」というテーマで授業をしていただきました。

昨日は、東林館高校の特別授業の講師として、私の高校の後輩でもある、医学士であり、現在アメリカ・ボストン在住でハーバード大学客員研究員の中川隆太郎さんをお招きし、生徒へ「ハーバード流 夢の実現方法 ~ストレスとの向き合い方~」というテーマで授業をしていただきました。

中川さんは、これまで本当にすごい人生を歩んで来られた方です。

高校卒業後、開業医をされておられるお父様の影響もあり、東京医科大学の医学科へ入学されます。

しかしそこで彼は壁にぶつかります。

自分の同級生たちはみんな「こんな医者になりたい!」「こういったことで医学に貢献したい!」と意欲に満ち溢れた人たちばかり。

一方の自分は、開業医の親の影響で、あまり深く考えることもなく、何となくの想いでここにいる。

「こんな自分が本当にここに居ていいんだろうか?」
「もしかしたら自分がここにいなければ、自分の代わりにもっと優れた医者がこの国の医学に貢献できたかもしれないのではないか?」

と思い悩み、医学の道を歩むことを諦めようとも思ったそうです。

しかし、「沢山の人に支えられたからこそ、今の環境・この立場があり、それを活かすことこそが、自分に与えられた使命なのではないか?」と思い直し、「自分にできる医学への貢献とは何か?」を模索するため、医学生を続けながら、多くの病院を渡り歩き、直接医師へ今の医学の課題をヒアリングすることを続けました。

出会った多くの医師から、今の日本の医学の課題を教えてもらう中で、自分が取り組みたい・解決したい一つの大きな課題が見つかります。

それは、「医学生の時には目をキラキラ輝かせながら、こんな医者になりたい!こんな医学がしたい!と志高かった医師たちの中には、いざ病院へ勤務すると日々の業務に忙殺されてしまい、なかなか自分が想い描く医学が実現できなかったり、勤務した病院との想いの違いや理念の違いに苦しんでいる医師たちも多くいる現実がある。」ということでした。

これはきっと、医師と全国の病院とのマッチングに課題があり、そのマッチングを上手くできれば課題解決ができると考えた彼は、大学2年生の時に全国の医師と全国の病院とをマッチングさせる会社を立ち上げます。

その会社は立ち上げ開始直後から沢山のニーズに答え、初年度1億円以上の売り上げを記録し、以降も売り上げを伸ばし続けます。

医学部を無事卒業、医師国家試験も突破し、27歳まで会社を経営したあと、大手の会社からの申し出を受け、そのマッチング会社を売却。

次に彼が挑戦したのは、更に大きな課題、この国の医学に対する課題解決でした。

現在の日本の医療費は、年間約42兆円。
このままの状態が続けば、いつか必ず日本の医療制度も、この国自体も終わりを迎えてしまうとの強い危機感から、「今の医療制度を根本から見直す必要があるのではないか?」「もっと少ない予算でできる日本とは違う医療制度を学び、それをこの国の医療制度に応用していく必要があるのではないか?」と考え、フィリピンの大学の医学部へ進学。

そこで主に予防医学を学び、その大学を卒業、フィリピンの医師国家試験も突破し、帰国。

帰国後は、多摩大学の医学ソリューション研究所に入り、予防医学、特に糖尿病への予防に対するアプリケーション開発に尽力しました。
全国100人の医師と連携し、糖尿病予防のためのアプリを開発しました。

その研究・開発等が認められ、ハーバード大学から予防医学への研究を更にしてみないか?と誘われ、現在はアメリカへ渡り、ハーバード大学の客員研究員として、日本の医学への貢献のため、更なる研究を進められています。

現在まだ、弱冠33歳の若者です。

生徒たちは、中川さんの話を、目をキラキラ輝かせながら聴いていました。

これからも、彼のように志高く生きる大人の姿を、子ども達にもっともっと沢山見せていきたいと思っています。

授業終了後、二人で色んな話をしているときに、一番しびれた中川さんの言葉。
二十歳の時に、開業医のお父様へお伝えをされた言葉。

「父さん、目の前の患者さんを日々直接診察し、多くの患者さんを救っている父さんのことは本当に尊敬しているし、その医学に対する姿勢も大切な医学への貢献だと心から思ってる。
でも、俺がやりたい医学は、俺が目指したい医学はそれじゃないんだ。目の前で会えないかもしれない、直接手を触れることはできないかもしれない。でも、この国には多くの病気で苦しんでいる患者さんや、まだ病気を発病していないけれども、潜在的に発病するリスクを常に背負った患者さんは本当に沢山いる。
俺は、その患者さんたちを救える、少しでも減らせる、そんな医学を志したいし、その分野で医学に貢献したいんだ。だから、ごめん父さん。父さんの跡は継げない!」

と、二十歳の若者が、父親と真剣に向き合った時のこの言葉でした。

色んなことを考えさせていただけ、彼の想いの強さ、崇高な志に、心がしびれました。

中川さん、本日は本当にありがとうございました!

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